2012年09月15日

小島さんのケ小平インタビュー

「我々の、この世代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりません。次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。そのときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう。」
                                    ケ小平
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第1回より7年にわたって、『リーダーシップ論』の講師を務められた小島氏ですが、我々も毎回楽しみにしていたのが、“お約束”のケネディ就任演説のお話とケ小平への歴史的インタビューのお話です。
今後聞く機会もなくなりますが、ここでケ小平インタビューのお話をご紹介したいと思います。
このお話は、講義の中で時間の関係上割愛されてしまう事が多く、過去の受講生でも知らない人も多いと思います。
知っている方は思い出していただき、知らない方には是非ともお教えしたいお話です。

日本と中国が国交回復を決定したのが1972年(今年は国交正常化40周年です)。
既に尖閣諸島周辺で地下資源が発見され、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めます。
時に1978年10月、ケ小平は日中平和友好条約の批准書交換のため中国首脳として初めて来日します。
天皇陛下との会談等のスケジュールをこなしたあと、記者会見に臨みます。

この記者会見は、当時の日本記者クラブにて行われ、中国首脳が初めて西側スタイルの記者会見に臨むという事で注目を浴びました。
事前の打ち合わせ事項として、質問は代表質問のみ。
質問者は、当時日本記者クラブ副理事長であった小島氏が選ばれました。

国民の関心は尖閣問題にありましたが、外務省のA次官からは「尖閣問題には触れないでほしい」という要請が小島氏にありました。
また、小島氏を補佐する5人の記者仲間からも、政府の意向を尊重すべきとの意見があったそうです。

しかし、海外のプレスも参加しており、当然尖閣問題についても関心を持っているなかで、この問題に触れずに済ましていいものかと疑問に思った小島氏。
それは新聞記者としても恥だと考えた小島氏は、補佐役には「すべて自分が責任を取る」と言って、堂々と質問をしました。
「尖閣列島の帰属について我々は、日本固有の領土である、信じて疑わない、という立場にあるわけですが、トラブルが中国との間に生じて大変遺憾に思っているわけです。この点、副総理(=ケ小平、当時)はどう考え、この問題についてどうお考えになるか。」

そして引き出したのが冒頭の棚上論として有名な答え。
これですべてが解決したわけではありませんが、小島さんは新聞記者としての意地を通します。
似たようなシチュエーションは日常でもありがちです。
わざわざ波風を立てずに無難にやり過ごすというのは、確かに賢い選択ではあると思いますが、その時どう行動するか。
状況にもよるでしょうが、その時に思い出してみたいエピソードです。

後日、質問を禁じた外務省A次官からは、「よくぞ聞いていただきました」と小島さんにお礼のお電話があったそうです。
また、会見をテレビでみていた全国の人からも同様にお電話があったそうです。
「あれがなかったら今の自分はなかった」と小島さんは今も述懐しています。

このお話は、小島さんの語るお話の中で私が最も好きなお話です。
そんな風に思える仕事をしてみたいものですね。


posted by 世話役 平出 at 10:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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